EmacsWikiでものすごい勢いでリリース/メンテを続けていたAndy StewartさんがEmacs/Emacs Lisp界から去ってしまった。
新たな、よりパワフルな環境を求めてのことらしい。
彼のコミットは凄まじく、一時期はEmacsWikiの更新履歴の半数以上が彼の更新で埋まっていたほどだ。
自分もanything-etags.elをリリースした直後に彼からのアプローチがあって、ものすごい勢いで機能拡張/ドキュメント整備がされた。今ではほとんど自分のコードではなくなっている。
彼は次は何に対してコミットしていくんだろうか。もしかしたら新しいエディタを作るかもしれない。
自分にとってEmacsは最高/最強の環境だと信じていて、頭の中は「Emacsをどれだけ使いやすく」しかない。Emacsで日々開発をしながら「ここをこうしたら楽できるかもしれない」と常々考えている。
で、気づいたらメジャーモードがEmacs Lispに。
「こうだったらいいのに」というアイデアを自分で実現できる範囲に環境を作ってくれているEmacsはすごいと思っている。エディタがプログラマブルっていうのは半端じゃない。
自分は使っていないけれども、Vim(VimScript)やViVi(JavaScript)、萌エディタ(JavaScript)、秀丸、EmEditorなんかは使う人が使ったらすごいんじゃないかと思う。もっともEmacs Lispを持ったEmacsの自由度はかなりすごいと思っているけれども。
IDEはかなりすばらしい開発環境を提供してくれるのだけれども、あくまでそこまで、と思う。それ以上になりにくい。
もっと簡単に拡張できるIDEがあったらいいのに。NetBeansの拡張とか作りたかったけれども、かなり敷居が高いらしい。
個人的に検索ウィンドウが別ウィンドウで立ち上がるのも好きではない。プログラムにおいて"検索"という操作は重要な位置を占めているんじゃないかと思っていて(Vimmerの人は特に賛同してくれると思っている)、その検索にマウス操作が必要というのは開発効率低下以外のなにものでもないと思っている。
ただ、IDEに慣れている人からすればEmacsがプログラマブルであることを「要らない機能」としてみていることがあるし、検索は検索窓が開くものだと思っている。「略語補完や検索を自作するってばかじゃないの?IDEならはじめからあるよ」って。
逆に、EmacsやVimなら「それEmacsでも(ry」「それVimでも(ry」みたいなことが言えるけど、IDEはできる/できないがはっきりしているようなイメージがある。なんか固いイメージ。
これって「ほげ言語のパラドックス」ならぬ「ほげエディタのパラドックス」じゃないのかなーと思う。
Emacsより一般的IDEのほうがすごいこともあるんだろうな、逆に。確かにJavaとかは自分もEmacsでやろうとは思わない(何でだろ?)。
ほげエディタのパラドックスはどれが上とか下とかないのかも。
Andyさんがすばらしい環境に出会えますように。